ザ・ドキュメント
ノンフィクション短編小説&エッセイ 著作:北田旅人
エピソード1. おぼろ月夜の古都 魔法がかかったような あの時を忘れない |
エピソード2. バリアフリールームが使えない 下見での出来事 |
エピソード3. 命という旅 祖先からのつながり |
エピソード4. 伊勢海老事件の真相! うちではご遠慮させて |
エピソード5. 戦争という悲劇を生んだ 74年ぶり台湾里帰りで少年時代に |
戦争という悲劇が生んだ 74年ぶりの台湾里帰りで少年時代に戻る 20151214
戦争ほど悲惨なものはない。戦争ほど残酷なものはない。(文献引用)
1941年まで小中学校を台湾で過ごした“WM様”。開戦により親兄弟、同級生が余儀なく離れ離れに。
戦中戦後の混乱期、高度成長の激動期を生き抜いてきた男の半生が走馬灯のように蘇る、台湾里帰り旅行。
高橋公一(仮名)は89歳を迎えた。家族、先生、級友と過ごした台湾の少年時代。
74年間想い続けた台湾里帰りが、遂に実現した。
高橋は、歩く事も話す事もしづらく、筆記もできなく、身の回りの事もできない。そのため
高橋公一の里帰りには、北田旅人とトラベルサポーターの西平(仮名)のふたりでご一緒した。
出入国時や至る所で「ご家族ですか?」って聞かれる程(笑)だった。
戦前の街並みは、2階建木造建築ばかりだが、今はコンクリートの建物ばかり。
しかし、昔遊んだ砂浜、海、山の景色は同じ。そして、通った校舎が現存。
事前に小中学校へ打診し、中学校では教職員秘書の出迎え後、校舎校庭の案内。
小学校では校長先生のお出迎え後、
児童による歓迎の演奏。“涙そうそう”を聞き入ると、こみあげてくる涙が。。。
きっと一気に74年前に戻ったのでしょう。
文字を書けないはずが、小学校では芳名録にご自身で記名。みんな驚いた。
自分の足あとを残したいとの気持ちの現れだったのだろう。
食事も、広東料理、四川料理など、沢山召し上がり。
北投温泉郷の湯瀬温泉にも、入浴でき気持ちの良い旅だった。
高橋は、旅行中、くちびるを噛み締めながら、一瞬一瞬をつなぎ合わせて
74年前の思い出を綴っていたのだろう。
5日間気持ちよく過ごせたのも、高橋の気持ち、西平の笑顔を絶やさず、
優しい声かけの質の高いおもてなし、北田のバックサポートが
美しく混合し、3人のチームワークがとれた、結果と感じた。
最終泊のホテルで就寝前の会話での出来事。
体力、体調的に、これが最後の旅のような空気になった瞬間、
高橋がすごく寂しそうな表情の中に、まだまだ元気があるぞというように
目が輝いていました。
北田が「またどこかへ旅に行きましょう!」と話しかけたら
高橋が笑顔で「暖かくなったら、また何処かへ連れて行って欲しい」と
横にいた西平はニコニコ笑顔で「また、3人で行きましょ!」っと。
旅は自信と勇気を起こさせるもので、旅は不思議な魔法みたい。
旅は人生と同じで、“帰る所があるから、旅なんだ”とつくづく実感した。
ひとりひとりの夢を普通に叶える。
「生きてて良かった」って、最期に感じてくれるような旅が究極の世界だったと
旅行後、数日してから気づいたのである。
伊勢海老事件の真相! うちではご遠慮させて 140524
伊勢で伊勢海老を活きたまま焼いて食べたい。特別養護老人ホーム入居の方々の日帰り旅行。
条件は、総数50名。車椅子利用者20名。所要時間2時間。車椅子トイレが複数ある食事施設。
食事施設内の移動に時間を要しない。エレベーターが小さいと待ち時間が増える。雨が降っても安心。
伊勢海老の残酷焼の本場は、伊勢志摩の浜島。しかし、浜島まで所要3時間かかるため候補から除外。
「伊勢海老残酷焼き」は浜島に商標権があるため、活きたまま伊勢海老を焼いて食べるという表現にして
条件に合う食事施設を片っ端から探すことになりました。
まず、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターへ問い合わせて、安土桃山文化村を紹介いただき、
普段のメニューにないが、伊勢海老漁師にお願いして確約をもらいました。
もう1軒は、美杉リゾートで確約をもらい、2者選択制で見積して、美杉リゾートで決定。
しかしそこから、「伊勢海老事件の真相!うちではご遠慮させて」がはじまります。
「美杉リゾート」に問合わせたシーンより
私「50名で車椅子トイレとテーブル椅子で伊勢海老残酷焼できますか?」
宿「はい。できます。但しコンロが無いので陶板で焼いてもらいます」
他の条件もクリアして見積作って、お客様へ提案したら、美杉リゾートで決定。
早速正式予約をしようと宿へ電話。
私「美杉リゾートさんで決定しました。」
宿「ありがとうございます。陶板は火力が弱いので半身にカットし、活きた伊勢海老の演出を考えます」
その後、美杉リゾートから電話。
私「伊勢海老の残酷焼きの演出方法できましたか?」
宿「えっ?残酷焼きできるって言ってません。無理です。」
私「えっ?残酷焼できるって、言ってたじゃあないですか?」
宿「できません。伊勢海老を活きたまま保管する水槽もありません」
私「ちょっと待ってください。話が全然違う。」
私は、電話を切り思案。最後の手段。
そうだ!私が活き伊勢海老を漁師さんから買って宅配又は、漁師さんを紹介して昼食に組み込む。
この2案を宿へ提案したところ。
宿「では、活きた伊勢海老を北見さんが持ち込んでください」
私は漁師さんから伊勢海老サンプル写真を取寄せ、お客様に承諾。お客様は大変喜んでくださいました。
しかし、またまた、宿の美杉リゾートから電話がかかり
宿「伊勢海老持込みも紹介もノーです。衛生面以外で、どんな伊勢海老が送られてくるかわからないし、
持込されたら商売にならない。洗浄して半身にカットする手間だけかかる」
私「では、一切旅館の手間を省き、私がまな板、包丁、活きた伊勢海老を水槽に入れ持参し、
私と相差の友人で半身にカットします。伊勢海老の殻ゴミも持ち帰ります。
一切旅館の責任がかからないようにします」
宿「ダメです。おやめください。当館社長の方針です。今回のお客様をご遠慮します」
※恐らく、三者の派閥(担当部署)争いに我々が被害を被ったことを直感。
支配人の営業ノルマ・料理長のプライド・社長のメンツと運営方針
私「そんなことってある?一度、予約を受けていて、今更利用を断るなんて。」
宿「謝罪に伺いますので何とか、当館では無理なので。」
私「美杉リゾートさん、謝罪に来たところで、無理なら無理でしょ!
こういう場合は、旅館が代替え施設を探すんでしょ。」
宿「・・・・はい。」(しかし条件に合う宿はほとんどない)
その後、沈黙の時間が過ぎて。最後の手段「相差の友人を頼ろう」
友人(タイヨウ水産とハクタカ水産)が奔走してくれて、二見でほぼ条件にあう宿を発見。
紹介者の方々の献身的な親切さに、涙が溢れそうでした。伊勢の観光施設同士のネットワーク。
そして下見当日。二見の旅館へ。名前は「旅館清海」さん。海沿いの素晴らしいロケーション。
伊勢海老の条件はほぼクリア。でも、1階宴会場は少し狭くて、車椅子トイレが2階に1箇所。
2階宴会場は広くていいけどエレベーターが1基で車椅子1台しか乗らない。
エレベーター待ち時間が1時間かかるかも・・・・・
下見同行の幹事職員様が
「旅館清海の従業員さんの優しい心が伝わって、いいんだけど他に条件にあうところない?」
白紙に戻りました。
そこで、最後の手段、
私「当初、お勧めしていた、安土桃山文化村にこれから下見しましょうか?ここなら問題ないです」
安土桃山文化村は伊勢にあっても、海が見えない。伊勢に来てる雰囲気がない。でも他の条件は大丈夫。
急きょ、廃案になった安土桃山文化村へ下見に行くと、従業員の親切な案内、全てがバッチリでした。
食事後、二見浦散策を入れ、海を感じてもらうコース。これで、当日を迎えることになったのです。
晴天のもと、64名様の参加で、リフト付き観光バス2台で出発。予定時間には、安土桃山文化村へ到着。
待ち時間無しで、活きたまま桶に入った伊勢海老ちゃんとご対面。従業員さんが目の前で焼いて下さいました。
手を合わせるおばあちゃん。伊勢海老の香り、焼く音、味。五感で存分味わって頂きました。
食事が大宴会のように賑やかに。目的達成に感無量の1日でした。
今回、お世話になった関係者の皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
命という旅 祖先からのつながり 130820
実は、私の祖先は、会津藩士だったんです。私の本家は両親とも会津喜多方で、北見姓、穴沢姓が多く住んでいます。
子供の頃、親に何回も連れて行ってくれた、鶴ヶ城と飯盛山。「会津武士の心、会津の魂」を教えてくれました。
特に母方の穴沢一族は、戦国時代、仙台の伊達家が会津に攻めて来た時、国境の桧原湖近辺のお城で戦った歴史。
そこで、穴沢長男だけが外出しており、助かった歴史があります。
NHK大河ドラマ放映中の「八重の桜」が、特にクローズアップされている。
国を守る会津が、賊軍にされ、会津戦争で薩長に踏みにじられ、2500人が戦死した。
呆嶷館webサイトより引用/ 穴沢:会津藩士出仕者・西南戦争出征など 北見/会津藩士謹慎者・斗南藩戸主
呆嶷館webサイトより引用/ 穴沢:会津藩士出仕者・西南戦争出征など 北見/会津藩士謹慎者・斗南藩戸主
私の曽祖父母のひとり北見ハツは、会津を守る戦いの最中に生まれたようです。
時の流れに逆らえないが、最後まで義を貫き、戦い、苦労してきた事実を、代々語り継がれてきています。
私は両家からの生き残り。北見、穴沢どちらかが、戦死(自決)していたら、私は生まれなかった。
今、こうしてブログを書く事もできなかった。
荒れ果てた京都を文化の都へ、復興した会津の山本覚馬と八重。そして今の京都がある。わたしは、
今、こうして京都で生きて、先人への感謝と、見えない糸でつながった使命があると実感しています。
そこで今回は、祖先からのつながりと、旅について、エッセイ風にしてみました。
旅は、帰る場所があるから「旅」である。
生きている間は、「命」という旅をしている。
宇宙のリズムは、生まれて、そして、消えていく。そして、また生まれる。
過去にお隠れになった「先人たち」は、命をかけて歴史をつくり
未来に残すために、人から人へ、つないでこられた。
それが、今の日本、世界が生きていることに、永遠不変の真理がある。
長い歴史の中で、本流から支流へ分かれることは道理。目的は同じでも考え方は違って当然。
生き様の中、自らの売上、業績、継続に悩むのは、欲に過ぎない。
地位、名声、財産、病気、健康、もっともっと便利になろうと工夫することも欲。
その人がこの世から消えたら、その人の欲は消滅する。
人間が創り上げた箱物、団体は、百年後、千年後にも現存しているとは限らない。
しかし、技術、足跡、思想は残る。
利便性、物の豊かさが独り歩きして、心が追いついてないのが現実。
山間の道路標識に「動物に注意」の看板。私は最近不思議に思う。
元々、地球上の自然は、我々動物の楽園だった。そこに動物が進化して知能が高い人間が出現。
人間は、都合が良いように、勝手に野生の楽園に、道路を作り、ビルを建て、地下を掘り起こした。
地球に許可も得ず、自然破壊を繰り返してきた。海も大気も陸地も。
地球も生きている。火山、地震、気象。自然の現象は、全ての生き物に対して公平。
人間も同じで、全ての生き物と共存共栄できる社会へ導くように。
歩けなくても、言葉が話せなくても、記憶できなくても。みんな同じ。
人生という箱がある。
生まれた時に、その箱に入り、死ぬときに、その箱から出るだけである。だから
人生という箱の中で、できることをやり遂げる。できなかったことは、箱から出たあとやり遂げられる。
魂は姿を変えて、この世の中に生まれ変わる。その繰り返しが宇宙のリズム。
箱の中の先人たちが残した「技術、製品、足跡、思想」。私たちは、その偉業を今日まで継承してきた。
箱の中の、あらゆる出来事や欲は、宇宙のリズムの一瞬である。
人の一生は短いけど、次世代へ引き継ぎ、未来へつなげていくことが、
命という、旅ではないでしょうか。
バリアフリールームが使えない 下見での出来事
〜 ザ・ドキュメント 短編小説vol.2 110615〜 北田旅人/著
「おはようございまーす」「おはようございまーす」閑静な住宅街に佇む、
障がい者デイサービス前で元気な言葉が飛び交う。
近所の白猫と黒猫もビックリして建物の隙間に逃げ込んだ。
障害者の生活介護事業として、居宅介護、行動援護、共同生活介護を
行っているこの施設は、北田が知っている限り、最先端を進んでいる施設だろう。
ひとりひとりのライフスタイルを考え実践している。
職員の吉本、下川、西大寺(いすれも仮名)は、1泊旅行の幹事役。
メンバーが楽しめて、旅育に繋がるように、今日は日帰りで下見の日。
北田が高速道路を快適に走る。映り行く窓の景色もスピード感がでている。
行先は、愛知県三河方面。
ラグーナ蒲郡でそれぞれのメンバーのニーズを満たせるかが、目的。
もちろん宿泊先も重要な下見である。
そして、一行は宿泊予定のA旅館に到着した。
A旅館は事前調査で、気持ちよく泊まれる宿/
館内はエレベーターを使えば容易に移動できる/
大浴場と露天風呂が入りやすい/
座敷宴会場は広く内テーブル椅子6人分/
バリアフリールーム又は客室近くに車椅子用トイレがある。
5つの要素を持っていたため、バリアフリールームを含めて仮予約をしていた。
綺麗なロビー、玄関に木製スロープ。窓から三河湾が一望。
3人は、大きく息を吸い込んだ。「うぁー綺麗!」
シーサイドビューのカフェに案内され、吉本達は周りをキョロキョロしながら、
椅子に腰掛けた。
そして、ホテル従業員が、いきなり驚愕の第一声を発した。
「バリアフリールームは先約があり、ご用意できません」えっ?と、
北田を含む4人が、言葉を失った。
始めに切り出したのは北田だった。
「じゃあ、今日ここに来る意味がないじゃん。何考えてんの?」
「仕事の都合を調整して、ガソリン使って高速道路で3時間かけて来たのに」
ホテル従業員は、「おっしゃる通りでございます。一度調整してみます」
謝るような、そぶりすらない。
北田が「一度OK回答をしているのだから、今すぐ、バリアフリールームを
確保してください。そんなの常識では考えられない」と興奮気味。
吉本、下川、西大寺も悲壮感が漂う。
ホテル従業員は、選択肢をいろいろ出し、ひとまず館内見学へと案内した。
客室と宴会場が遠く、エレベーター乗り継ぎや階段部分は従業員通路を使う。
館内は階段を使わないよう移動できるが、移動導線も長く迷路みたいである。
一度予約済みであるのに、部屋が用意できないことを飄々と言うホテル従業員。
更に、部屋が取れていないことを下見当日に突然言うなんて、旅館の信用問題。
部屋が取れても、安心して当日を迎えることはできないだろう。
85%は違う旅館になると心の中で決める。日帰り下見では貴重な時間である。
無駄な1時間30分だった。
幹事の3人には、誠に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
北田は予備として、もうひとつの宿を用意していた。
B旅館は、事前調査の通り玄関に8段の階段があった。
階段なしで行ける従業員通路、館内、従業員の姿勢。
ゆっくり寛げる感じで、ほぼ条件通りである。
「細かい事(部屋数など)は、お任せ下さい。」
ホテル支配人の言葉は、非常に安心させられ、無事旅館の下見が終わった。
ラグーナ蒲郡を下見してひとりひとりのニーズを思い浮かべて、
乗り物、食事トイレ、移動導線、イベント、雨天時を想定。
「これで安心できる旅になる」と、4人は、胸を撫で下ろした。
〜 ザ・ドキュメント 短編小説vol.1 110608〜 北田旅人/著
正夫(仮名)は、その夕、京都嵯峨野で湯豆腐料理店に着いた。
「あ〜今日は楽しかった。ずっと座りっぱなしで、疲れた」。
備後地方から正夫と奥様の都(仮名)が新幹線で京都駅へ、
京都に住む長女の真佐子(仮名)が京都駅ホームで迎え、
途中で加わった孫の新也(仮名)の2泊3日京都4人旅。
「今日は、金閣寺、龍安寺、錦小路、楽しかったねぇ」
都の言葉にうなずく正夫。
「一日中、車椅子で移動すると、ガタガタ道もあって疲れたね」
真佐子が父、正夫をいたわる。
正夫は、脳梗塞で2回倒れ10年が経った。
今は身の回りの世話は、都がしている。
人出が多い日曜日であるが、静寂と夕闇に包まれた、湯豆腐料理店。
お店は、表にカウンターとテーブル席。その奥の離れに数寄屋造りの和室がある。
それを囲むように、中庭と竹林が夕闇に溶け込んでいる。元皇族の別荘であった
ここは、幽玄な雰囲気がある。
日常の正夫は、常時車椅子。時折ベットで休む生活をしている。
デイサービスや訪問介護、リハビリの病院へ通う毎日。
ベットに手すりがあれば、起き上がることができるが、
車椅子への移乗と、トイレ移乗は都の手伝いが必要である。
膀胱がんを患い、トイレは30分から1時間おきに行く。
正夫の心配事は、ベットの手すり、トイレが近い、体力の3点。
自己主張、記憶力は十分。
食べ物も好きな物を好きなだけ食べることができる。
それに腕力が強いこと。立位時、足が爪先立ちになり、手すりがあれば持ち前の
腕力で一瞬立ち上がりができる。
不安はあるが、「今だから旅行に行ける」と、金婚式、古希、病気10年を記念して。
「これが最後の旅行になるかもしれない。だから、行くんだ」と決意した。
そして。今、嵯峨野湯豆腐料理店に姿を現した。
1日の疲れは隠せない。
旅を達成できた充実感と疲労感で、複雑な表情を見せる正夫。
都と真佐子は、その一瞬を見逃さなかった。
「すぐ横になれるところはある?」都の一声。
添乗員の北田は脳裏に薄い記憶が蘇った。
「数寄屋造りの建物1階に長いソファがあるから、そこで横になりましょう」
北田が言うのと行動が同時だった。早速、庭先の応接間に移動して、横になった。
正夫は、いつしか寝息をたてていた。
その間、都、真佐子、新也は、向かい側の庭園を見学して30分が経過していた。
見事に、正夫は復活した。元気な笑顔を取り戻し、湯豆腐を美味しく食べた。
辺りはすっかり夕闇に包まれ、嵯峨野の宿へ移動した。
新也はバイクに乗って下宿先へ戻った。そして、最後の夜を迎えることになった。
古都のおぼろ月夜は、正夫を最終日の京都を惜しんでいるようだ。
2階のバリアフリーツインの部屋に戻り、
都が、「明日帰るんじゃね。楽しかったね。」うなずく正夫と、真佐子。
久しぶりに会う、都と真佐子。話す会話も時間が惜しいぐらい。
この日の宿は他の宿泊者が見当たらない。
2階の廊下は静まり返っている。「誰も泊まっていないのかしら?」と真佐子。
都は、しんと静まった宿で、娘が怖がらないか不安であろうと察知した。
正夫もトイレを済ませ、手すりがないベットで寝息を立てはじめた。
都は隣の真佐子の部屋を訪れ、時を忘れ、たわいもない話に夢中になっていた。
夜も深まり、差し込むおぼろ月が隠れた、その時。
ドアを「トントン」ノックの音。「こんな夜更けに誰?」都の声が震えた。
「誰もいないはずなのに、お父さんはベットに手すりがないから起き上がれないし」
真佐子の声も震えた。
更に、「トントン、トントン」幾度とノックされる。
「確かに廊下に誰かいる」と真佐子。
真佐子は震えた腰を持ち上げ、硬直された手で、
ドアを、「ギギギー・・・」
ドアを5cm,10cmとゆっくり開けると、
人がいる気配。
そこには、正夫が笑顔で車椅子に乗っていた。
「おしっこ自分でしたよ」
その時、時が止まった。都と真佐子が目を見合わせた。
魔法がかかったような2人。
「どどど、どうやってここまで来れたの?」と真佐子。
言葉を失う、都。微笑む、正夫。
「自分で来たよ」正夫の冷静な声は、静まり返った廊下に響く。
正夫の生きがいに満ち満ちた表情と言動は、人として生きる自信と勇気を、
全ての人に与えるだろう。
今までできなかった事ができた。トイレに行きたい。
話をしたいという欲求が隠れた能力を出したのかもしれない。
【ベット〜起き上がり〜車椅子移乗〜自走で移動〜部屋のドアを開ける〜
廊下を移動〜隣の部屋をノック】
家ではありえないことが、旅先では潜んでいる能力がでることが、証明された。
正夫は無限の可能性を実感した。生き方見つけ、更に永遠の旅は続いていく。